「第45回 越後妙高コシヒカリマラソン大会」のお知らせ
今回、45回を数える、妙高市の最たるスポーツイベント「越後妙高コシヒカリマラソン」が、10月12日(日)に、新井総合公園(陸上競技場)周辺を会場に開催されます。
今回は、45回記念大会ということで、ゲストランナーに尾崎好美選手(第一生命)を迎えて開催します。
また、「ハーフコース」、「10㎞コース」については、コース変更されます。 (※スタート・ゴール地点の変更はありません。従来通り、新井総合公園・陸上競技場です。)
ハーフ・10㎞コースに関しては、旧新井市街中の「北国街道」を走るコース設定をしました。
他の種目については、変更ありません。
なお、申込み開始は、7月上旬(予定)となっています。
詳細等については、決定次第、こちらのホームページなどでお知らせします。
今回も、大勢の皆さまの参加を心よりお待ちしております!
*招待選手...「尾崎好美選手(第一生命)」
※写真提供...「第一生命 陸上競技部」
※下記プロフィールは「ウィキペディア」より一部抜粋
神奈川県足柄上郡山北町出身。現役時代は資生堂、セカンドウィンドAC(SWAC)に所属。
高校卒業後、2000年に【第一生命保険相互会社】入社、陸上競技部へ入部。
入社後は、主にトラック競技・駅伝に出場。女子マラソンでは、1991年「世界陸上 東京大会」で銀メダル獲得・1992年バルセロナオリンピックで4位入賞、引退後、第一生命陸上部に招聘され監督となった山下佐知子氏の指導を受け、堅実に実力アップを図る。しかしフルマラソン出場までは、その後長い年月を要した。
2008年3月の「第29回名古屋国際女子マラソン」に一般参加選手として初マラソンに挑戦。シドニーオリンピック金メダリストの髙橋尚子など並み居る強豪の日本選手が出場する中、積極的にレース終盤まで先頭集団に加わった。しかし32㎞過ぎ、中村友梨香(天満屋)が仕掛けたロングスパートについていけず、優勝して北京オリンピック代表となる中村とは惜しくも28秒の差で届かなかったが、2位と健闘した。
同年11月16日、最後の開催となった「第30回東京国際女子マラソン」で2度目のマラソンに出走。終盤の38km手前で当時姉と同じチームメイトだった加納由理(現・資生堂)をかわし、38.4㎞地点で先頭を走っていた渋井陽子(三井住友海上火災保険)を追い抜き逆転、自己ベスト記録でマラソン初優勝を果たす。これにより、2009年世界陸上ベルリン大会(ドイツベルリン)の女子マラソン日本代表に即内定で初選出された。
「世界陸上選手権で銀メダル獲得」
2009年8月に行われた「世界陸上ベルリン大会」の女子マラソン本番レースでは、他の代表選手とともに終始先頭集団に加わり、後半のペースアップにも果敢についていった。3㎞過ぎの給水地点で給水ボトルを取り損ねるものの、この大会男子3000㍍障害代表で給水スタッフを務めていた岩水嘉孝(富士通)が、落としたボトルを拾い猛ダッシュして手渡すというシーンもあった。38㎞辺りで一度は先頭に立ち尾崎自らスパートを仕掛けたが、優勝した白雪(中国)らに食いつかれ、40㎞地点からは2人のデットヒートが続いた。最後の41km付近で白雪のスパートに引き離され、10秒差で惜しくも2位となったが、日本における世界陸上女子マラソン史上で合計10個目(金2・銀5・銅3)のメダルとなり、奇しくも18年前の世界陸上東京大会での山下佐知子と全く同じ銀メダルを獲得。また世界陸上ベルリン大会女子マラソン団体戦でも、日本代表として銀メダルを獲得した。
2014年4月、エイヤフィヤトラヨークトルの噴火(アイスランド)の影響により、一時開催も危ぶまれていた「ロンドンマラソン」に出走。だが調整ミスもあってか、レース中盤で先頭集団についていけず優勝争いから脱落、結局13位に留まった。
2011年2月「第2回横浜国際女子マラソン」に出場。レースでは終始先頭集団を走り、39㎞付近からスパートをかけてペースを上げて後続を振り切ると、自身2番目の記録でマラソン2回目の優勝を果たす。これにより、2011年「世界陸上大邱大会(韓国大邱)の女子マラソン日本代表に、「世界陸上選手権」に二大会連続で即内定で選出された。
2011年8月、世界陸上大邱大会の女子マラソン本番レースでは、世界陸上連続メダル獲得の期待が掛かっていた。しかし、32㎞過ぎからのケニア・エチオピア勢の急激なペースアップについていけず、一方的に突き放される。結局日本女子では赤羽有紀子(ホクレン・5位入賞)・中里麗美(ダイハツ・10位入賞)に次ぐ3番手の18位に終わった。また女子マラソン団体戦でも日本代表は、1997年「世界りウ苦情アテネ大会」で採用されて以降、初めて表彰台を逃してしまう結果となった。
「ロンドン五輪女子マラソン代表選出」
2011年11月、「第3回横浜国際女子マラソン」へ同大会2連覇と、翌2012年8月開催の「ロンドンオリンピック女子マラソン」の代表選出を目指して出場。気温22度の高温下のレースとなるが、前回大会同様に先頭付近をひた走り、40㎞過ぎには一旦自らラストスパートを仕掛ける。しかしその後失速、残り1㎞を過ぎてから優勝した木崎良子(ダイハツ)に逆転されてしまい、17秒差の2位と敗れた。
2011年12月、宮城県で初開催の「全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」では1区を担当し区間賞を獲得、第一生命チームの総合優勝(2002以来9年ぶり2回目)に貢献。レース後、2012年3月の「名古屋ウィメンズマラソン」で、五輪代表入りに再挑戦する意向を表明した。
その名古屋ウィメンズマラソンでは終始先頭集団に加わったが、35Km過ぎに後方から追い上げ優勝したアルビナ・マヨロワ(ロシア)に食らいつくも、37Km手前でマヨロワの飛び出しにはついていけなかった。その後は中里麗美との日本人争いのデッドヒートを繰り広げたが、ゴール迄残り700m地点で満を持した尾崎が中里をようやく振り切って、日本女子トップの2位でフィニッシュ。その翌日、同年7月より行われるロンドン五輪日本代表選手に、最後の3番目で初選出された。
2012年8月、期待された「ロンドン五輪」女子マラソン本番レースだったが、中間点を過ぎた所で先頭集団のロングスパートに殆ど対応出来ず、ズルズルと後退してしまう。途中迄は日本人トップで走っていたが終盤で木崎に追い抜かれ、8位入賞ラインにも全く届かないまま、日本女子2番手の19位に終わった(木崎良子が日本人首位ながらも16位、重人梨佐は79位で3選手共メダル・入賞ならず。)
「第一線から引退」
2013年2月24日の「東京マラソン2013」を機に第一線を退き、同年3月末をもって第一生命陸上部を退部する考えを明らかにした(意欲が戻れば現役復帰する可能性も示唆)。その東京マラソン本番は、優勝のアベル・ケベテ(エチオピア)から約3分遅れたが、日本女子では首位の5位でフィニッシュ。レース後の尾崎は『少し寂しい気持ちもあるけど、やっと休めるという気持ちが大きい。』と安堵の笑みを浮かべていた。
「マラソン全成績」
年月 |
大会 |
順位 |
記録 |
備考 |
---|---|---|---|---|
2008年3月 |
名古屋国際女子マラソン |
2位 |
2時間26分19秒 |
初マラソン日本女子歴代9位 |
2008年11月 |
東京国際女子マラソン |
優勝 |
2時間23分30秒 |
マラソン日本女子歴代10位タイ(当時) |
2009年8月 |
世界陸上ベルリン大会 |
2位 |
2時間25分25秒 |
女子マラソン団体戦銀メダル獲得 |
2010年4月 |
ロンドンマラソン |
13位 |
2時間32分26秒 |
|
2011年2月 |
横浜国際女子マラソン |
優勝 |
2時間23分56秒 |
|
2011年8月 |
世界陸上大邱大会 |
18位 |
2時間32分31秒 |
女子マラソン団体戦4位 |
2011年11月 |
横浜国際女子マラソン |
2位 |
2時間26分49秒 |
|
2012年3月 |
名古屋ウィメンズマラソン |
2位 |
2時間24分14秒 |
|
2012年8月 |
ロンドンオリンピック |
19位 |
2時間27分43秒 |
|
2013年2月 |
東京マラソン2013 |
5位 |
2時間28分30秒 |
同レースをもって第一線から引退 |
